2012年01月19日

吉田松陰先生の石碑


昨日 急遽決まった 単独取材『小瀬の渡し』の写真を撮ってくる。

場所は、広島県との県境・・・ 
場所の把握があいまいだった為 細い道になるたび不安になり お散歩中の おじさんに
「すみません。小瀬の渡しは、まだ先ですか?」
と尋ねる。

「・・小瀬のわたし?」(・_・;)
イントネーションが悪かったのかうまく伝わってない様子
「吉田松陰の・・・。」
と言うと
「あ〜 小瀬の渡しね。あと2キロくらいよ」ひらめき

という言葉に安心し 詳しい道案内と説明を頂き、御礼を言って目的地へ向かう車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)


しばらくし おじさんの説明に出てきた目印の橋を見ながら減速 右手側 右手側・・・。グッド(上向き矢印)

yosidasyouin.jpg

あった目   
堤防道路上の片脇に吉田松陰の歌碑が建っていました。
碑面に

「夢路にもかへらぬ関を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」

と書いてあり台石には

「夢路にも―」は明治維新の先達吉田松陰先生が、幕府の召還を受け、籠で護送されながら、岩国市小瀬川に差しかかり、防長二州と最後の別れをされるとき詠まれたものである。時は安政六年(1859)五月二十八日、先生三十歳の時である。先生の籠は約一ヶ月後、江戸に着き、幕府の調べを受けられたが、国を思う先生の至誠も幕吏には通ぜず、同年十月二十七日伝馬町の獄舎に於いて『われ今国のために死す。死して君親に背かず、悠々たり天地のこと、鑑照明神に在り』の辞世を朗唱され、従容として死に就かれたのである。今や西に東に世情騒然たるものがあるとき、一には少年訓育に糧となし、他には観光岩国の一資源となすべくこの碑を建てた。
と書いてありました。

今回は、色々考えさせられる取材でした。


       HA51@
posted by 里の駅 at 10:44| Comment(0) | 岩国エリア
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